アクロージュファニチャー

⑦家具職人への第一歩、品川職業技術訓練校始まる/岸邦明

2018年1月16日

先日、「家具職人を目指すまで」を初めて書いてみました。

「面白かったです!」「続きはないのですか?」とのお声を多くいただきました。

と言うことで続きです。

 

2002年4月、16年程前になります。

品川職業技術訓練校(現 東京都立城南職業能力開発センター)木工技術科に通い始めました。

生徒は30人。いわゆる担任の先生が2名(筒井先生・小山先生)。それ以外にも客員講師が10名以上おります。

都立、つまり税金で運営されています。僅かな自己負担だけで1年間学ばせてもらえます。

再就職を支援するための、実にありがたいシステムです。

私は雇用保険受給者ではなかったのですが、その資格を有する人は訓練校に通う1年間、技術習得支援として、いわゆる失業手当までも支給されます。

海外でしばらく過ごしてきた後でしたので、日本国のありがたみが身に沁みます。

 

年齢は20代が中心です。女性が7名。若い方は高校卒業したての18歳も何人かいます。

この中では私は完全におじさんです。

基本的には木工未経験者を前提としていますし、社会人経験がない方も多数いますので、ここの授業はとても優しく丁寧に進んでいきます。

この歳になって、改めて学生気分です。正直言って、「贅沢」そして「楽しい日々」でした。

 

道具の名前から入り、鑿(のみ)や玄翁(げんのう)、鉋などの手道具の扱い方を家具を作りながら学んでいきます。

訓練の3割ほどは、いわゆる机上での勉強もあります。木材を始めとした様々な材料、木工機械、製図などを学んでいきます。

どれもこれも大切なことばかりです。基礎的なことのはずですが、人生初の体験や知識の連続です。

一瞬一瞬が真剣です。30歳を回ってこの世界に入ったからには、悠長に学んでもいられません。その瞬間で覚え切るよう、技能も学科も全力で向かいました。

 

生徒が30人。美大や建築、デザインを出て、そうした仕事に就いた上で、訓練校に来た人が多数います。

彼らは、私からすれば王道を行くエリートたちです。32歳まで、そうした頭も手も使って来なかった私ですが、歳は上です。

「この中で埋没してしまうようなら、今更プロとしてやっていけるはずはない」とのプレッシャーを自分に課しました。

ヤル気にみなぎった私は、若い彼らからすれば、きっと「熱苦しいおじさん」だったんだと思います。

それでも誰もが家具を制作する技術を学ぶという、明確な共通目的を持っていたので、仲良くしてくれました。

 

2カ月後には簡単な仕口を使って、簡単な腰掛を作っていました。

毎日、鑿や鉋の刃を研ぐ日々です。

先生が研ぎ方を教えてくれます。

「もう少し刃先に力を入れて」

「持ち方はこう」

「研ぐのは難しいからやり続けるしかないよ」

「何年かやっていれば、段々研げるようになるよ」

研ぐのは難しい…どうすれば早く上手くなるか先が見えない。

「研ぎを身に付けるだけで何年も掛かるのか…」

 

訓練校のシステムが分かってきた頃でした。

手道具のこと、刃物のこと、研ぎのこと。

この辺りは1年と言う僅かな期間で、学校として多くのことを伝え切らなくてはならないカリキュラムの中、さらに深いところまでを、訓練校任せで学ぶことは難しいと感じました。

「この1年間、自主的にもっと多くのことを学ぼうとしなくてはならない」そう感じました。

客員の講師として、現役の江戸指物師の山田嘉丙先生が教えてくださっていました。

プロの木工職人であるだけでなく、高い手加工技術を持つ江戸指物師が私たちのようなレベルに教えられると言うことは、少々おそれ多いくらいの驚きの域でした。

担任の先生に見つからないように、こっそりとお声を掛けます。

「手道具についてもっと学びたいです。どこか道具屋さんを教えていただけませんか」

「そうだな~井上刃物店が良いかも知れないね。いろんな職人さんが来ているよ」

墨田区にある井上刃物店に行きました。

 

そこには私にとって人生を変える、大きな出会いが待っていました…

 

 

 

 

 

 

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