⑧老舗大工道具店の井上刃物店に通う/岸邦明
2018年1月16日
墨田区に井上刃物店という、今ではとても珍しくなった手道具をメインに扱う老舗の大工道具店あります。
いわゆる頑固な道具屋ですが、店主の井上さんは「木工を真面目に全力で取り組む人を応援する」気概のある道具屋さんです。
一見優しい方ですが、決して木工というものづくりに妥協を認めない方で、どんな木工の達人であれども、隙あらばダメ出しをされます。
いわゆる歯に衣着せぬ江戸っ子です。
昔のことで記憶も定かでありませんが、恐る恐る店に入ったはずです。
戦後間もなく建てられたであろう趣たっぷりの木造のお店の中には、当時多くの大工道具がきれいに並べられていました。
「今、品川にある家具の職業訓練校に通っています」
「大工道具について学びたいと思い入らせていただきました」
腰掛に座り、店の雰囲気に浸っていると、代わる代わる馴染みと思しき人々が入ってきます。
大工、家具職、木工愛好家などなど。緊張とワクワクの連続です。
2時間ほど色々な話を聞かせていただいた後だと思います。
「お兄さん、学校帰りに寄れるんかい?」
「はい、伺えます」
「じゃ、寄ってみたら良いんじゃないかな」
「ありがとうございます!」
その日から週に2回ほど、学校帰りに立ち寄らせてもらいました。
鉋・鑿・鋸・玄翁・毛引き・白書などなど、幾種もの大工道具を購入しては、その仕込み方や使い方を教えてもらいます。
大工道具は使える状態で売っている訳ではありません。
一般的には八部仕込みといって、一部の仕込みや調整は職人自らが行う必要があります。
一部とはいえ、大工道具全てにそうした仕込みや調整があり、また一度行えば済む訳ではなく、極端に言えば、使う度に正しい状態か確認しながら使用していくことになります。
その知識や技術は多岐に渡り、それを正しく知り、実施している職人はほんとうに一握りです。
職人100人に一人。いえいえ1000人に一人かも知れません。
道具を購入し、仕込み方を教えてもらい、夜な夜な家で仕込みや調整を行い、また刃物を研ぎ、出来上がったものを見てもらいます。
そうしたことを1年間通い続け、学ばせてもらいました。
当時は府中に住んでいました。学校までは片道1時間半です。
毎日4時半に起き、5時過ぎの電車に乗り、学校に7時には入っていました。
刃物の研ぎを練習し、道具を調整し、実技講習に備えます。
5時頃学校が終わり、帰宅し食事後、また刃物の研ぎを練習します。そんな日々でした。
そして井上刃物店にも通っていました。
当時の私はまだ「ものづくりとは何なのか」が良く分かっていませんでした。
私にとってのその入り口は「大工道具」でした。
残念ながら、大工道具の質はその頃下がり続けていました。
手道具は決して工業製品ではなく、熟練した気概のある職人がひとつひとつ生み出す手仕事の塊だったのです。
良い道具は理にかなった美しい形をしています。
長い年月の中で生み出されてきた「デザインの塊」なのです。
その正しい形、正しく使える道具を作り出すことができる職人が、年々いなくなっていることを知ります。
幸運にも老舗の道具屋には、大工道具の文化財といえる様々な手道具が残されていました。
普段仕舞われているそうした道具を、ときに見させてもらい、触らせてもらい、またなぜこれが素晴らしいものなのかを教えてもらいました。
正しい形にするには、熟練した技術はもちろんのこと、多くの手間が必要になります。
また木材を加工する道具なので、形だけ正しくても正しく加工できる道具にはなりません。
大工道具の世界はとても奥が深く、数多の大工道具のコレクターがいるくらいです。
名工千代鶴是秀の道具に至っては、ひとつが何千万円の価値があったりします。
そうした道具を手に取りながら話が聞ける訳ですから、この瞬間を私の財産にしなくてはなりません。
道具の世界をひとつだけ。
「刃物は甘切れ長切れでなくてはならない」
皆さん、刃物は木という硬い素材を削る訳ですから、硬い方が良いと思いますよね。
実は違うのです。硬い刃物だと木と反発してしまうのです。
柔らかい刃物の方が木が受け入れてくれて、馴染んで、優しくきれいに削れるのです。
ただ、柔らかいと刃物が保ちません。
その相反する特徴を合わせもったものが良い刃物なのです。
刃物の切る部分に付いているのは、いわゆる鋼です。
鉄に、ある量の炭素を含ませたものを、約800度から急冷するという焼き入れ作業で鋼は作られます。
硬さには、硬度と靭性という主にふたつの物理的な要素があります。
硬度とはいわゆる硬さ、靭性とは粘り強さです。
硬くても粘りがなければ欠けてしまいます。
天然硬度ナンバーワンと言われるダイヤモンドも叩けば割れます。靭性はさほどではないからです。
一般的な鋼より硬度を下げつつも靭性を上げる。
優れた刃物を生み出す職人は、数々の技の中でこの特性を生み出していく訳です。
工業技術が発展している現代、色々な物質を含めることでそれを克服しようとしていますが、それでもまだ、真の職人技の方が上回っているのです。
そうした職人は、その頃でも全国で20人程度になっていたと言えるかも知れません。
今はもう一桁かも知れません…
「実際に手を動かし作り出しているものづくりの世界」はとても厳しい状況に今あります。
多くの分野において、近い用途のものが工業的に作り出せるようになって、価格としては太刀打ちできないからです。
汎用性のある技術は海外に輸出され、人件費が低い国で生産されます。
大工道具もどんどん工業化や技術の輸出化が進んでいます。
ホームセンターでも似たようなものが売られています。ただ、決して正しく使える道具ではありません。
鎚を打ち、鍛え上げた絶妙な鋼を持つ正しい大工道具は、決して安いものではありません。
それでも彼らがそれに費やした時間を考えると気の毒に思ってしまうほどです。
千代鶴是秀は、生前から名工ナンバーワンといわれ、鑿一本何十万円もしていました。
そうした高額の道具を、同じく名工といわれた棟梁たちが使っていました。
その名工でさえ、生活は決して楽ではなかったそうです。
私が憧れてきた「ものづくりの世界」の厳しい現実を、大工道具を通じて知ったのでした。
美しい道具、使ってみて惚れ惚れする道具、目指すべきものづくりの世界です。
しかし、普通に生活していくにはあまりに厳しい現実。
私はどう進むべきなのだろうか…
井上刃物店には多くの木工愛好家が集っていました。
その人たちから2人の素晴らしき木工家の話しを日々聞いていました。
その2人、後に私の木工人生に大きな影響を与えてくれた方々でした。