アクロージュファニチャー

③「人生の岐路」とはなんだろう/岸邦明

2018年1月14日

新入社員になります。

新社会人として、精一杯の日々の始まりです。

実は…ずっと大きな問題が家にはありました。

大学1年生以来、父がほとんど働かなくなっていたことでした。精神的なものか肉体的なものか、父子喧嘩は日々ありました。

私は奨学金に頼り、毎日のようにアルバイトをしながら、何とか大学を卒業していました。

 

社会人となり、大人としての自覚が生まれます。

母に質問しました「結局、今どのくらい借金があるの?」母は資料を見せながら教えてくれました。子供に説明するのは辛かったはずです…

2000万円近い総額…

家は賃貸で分不相応に20万円。弟は大学1年でした。兄もいましたが、まっとうなサラリーマンです。保険の代理店を営み、一手に家計を救おうと働き続けていた母の収入だけでは成り立ちません。

「引っ越すべきだ!」

「昼間っから酒を呑むのをやめてくれ!」

父子喧嘩はエスカレートしていきます…

新入社員の給与から5万円だけ抜き、家に入れるようになりました。それでも百万単位で毎年足りなくなるのは、計算すればすぐに出てきます。

自己破産すれば…

学生時代はそんなことを考えていました。しかし、その借り入れの多くは祖母や親戚からのものでした。金融機関からのものは兄が連帯保証人になっていたりします。

大学生の私が無事卒業できるよう、誰にとっても大切なお金を、無理して貸してくれた訳です。

それが2000万円。さすがに、まともな金融機関からはこれ以上は借りられません。

これ以上は借りられない…

自己破産もできない…

 

「人生の岐路」とは言いますが、それがこの瞬間なのだろうか。

苦労して入った会社でしたが、8カ月で親にも言わず辞めました。

期待してくださっていた支店長に退社を告げたとき、「大変だけど頑張るんだぞ」と言ってくれた、あのときの目。仕事を途中で投げ出してしまい、直属の上司には大きな迷惑を掛けることにもなりました。新入社員としてはビックリするくらいの予算を与えられ、集客し始めていた矢先でした。

数年後、「あの後の一か月くらいは本当に大変だったんだぞ!」と笑いながら当時の上司に肩を叩かれました…

 

マイナスからのスタート。

商売を始めることにしました。

今の私に一番あるはずのもの、商学部卒という誇りを持って、「売る」ことを目指します。

学生時代、自分に度胸を付けたくて、飛び込み営業のアルバイトをしていた時期がありました。「珈琲メーカー」を企業においていただき、豆を販売する会社の飛び込み営業です。大学一年生で、会社にズンズン入っていくには度胸がいりました。

右も左も分からずに、根性だけで営業していましたが、案外成約件数は高く、数カ月で数十人の中のトップになった週も出てきました。どう見ても学生のような若造が必死に営業している姿が良かったのかも知れません。

それが、半年もすると成績が下がっていきました。商品知識やセールストーク、お客様の空気を読む力など、場数を踏んだだけ良くなってきているはずです。にもかかわらず、成績は下がります。

私自身のこのアルバイトに対する情熱や下がってきたことが一番の原因だったと思います。

1年足らずで、このアルバイトは辞めてしまいました。それでも、営業の面白さや難しさを感じましたし、僅かですが「売る」ことの成功も失敗も経験していました。

 

父子喧嘩も散々してきましたが、変化がありません。

サークルで培ってきた「コミュニケーション力」、父を懐柔することにしました。

「一緒に働こうよ!」

「一緒に返そうよ!」

「一緒にやり直そうよ!」

5年ぶりに父を外に出します。

 

新社会人が急に複雑なことはできません。

「物を仕入れ売る」それに絞ります。

当時、流行っていたベンチャー企業の「販売代理店」になるのです。

ビックサイト等で行られるビジネスショーに出向き、良さそうなものをまずはひとつ購入します。自宅で実際使ってみて、「良い」となれば販売代理店になります。

商品説明を考え、チラシを作成し、近所にポスティングしていきます。

モニター品を用意し、ご興味を持って下さった方に貸し出します。

気に入ってくださった方に最終的に販売します。

いくつもの商品をこうような手法で1年間販売していきました。

利益はほとんど出ませんでしたが、私自身の商品知識、営業力、販売力は大きく身に付いていきます。

 

様々な商品を販売していく中で、たったひとつ売れるものが生まれました。

「ファンを使わない空気清浄機」、あるベンチャー企業が開発販売し始めた特許商品でした。

これに力を入れていきます。

地域の家電小売店を回り、置かせてもらいます。

同行販売し、売れることを見せ、売り方を伝えます。

練馬区を中心とした数十店舗の小売店をこの手法で地道に開拓していきます。

地域の家電販売のプロのセールスマンとの同行セールス。

待ったなしの中、結果を出していきます。

2年目利益が出始めます。

 

最終段階です。

2年掛け培ったノウハウで、家電量販店やホームセンターでの展示販売、さらには全国規模の家電卸に展開していきます。一気に売れ上げが増えていきます。

3年目、大きく利益が出ます。

そして4年目、年商2億に達し、借り入れを返し切ります。

弟も大学を卒業し就職します。

当時、どんな気持ちだったのか、不思議と喜びの記憶はありません。

しかし、「人生の岐路」で何とか転げ落ちずに済んだ瞬間ではありました。

 

 

 

 

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